いま、歴史の重大な分岐点でESGインテグレーションの実践を―「ESG資本主義」を考える① 星野俊也
更新日:2022年9月25日
SDGsやESGやサステイナビリティといった言葉を聞かない日がないほど「日常化」していることは、言葉の普及という面では意味がある。しかし、その一方で、それを誰が、何を、どこから、どうすればよいのかで当惑したり、自分たちのやり方でよいのかどうかで心配になったりしている方々は多いに違いない。
地球や人類をよりよい方向にもっていくための営みであれば、どんな努力も貴重である。とはいえ、さまざまな活動が、本来の意図とは異なり、時代に逆行したり、互いを打ち消し合うことなく、相乗効果があがるように進んでいくのであれば、それに越したことはない。とりわけ、「リターンの最大化」を主要な行動原理とする民間ビジネスが私たちを取り巻く環境・社会・経済のエコシステムの中に占める位置や比重や影響の大きさを考えるならば、企業がどう動くのか、いや、企業をどう動かすかが未来に向けてのカギとなる。
資本主義の常として投資を通じた資金の流れが道を創る。2006年4月、コフィ・アナン国連事務総長(当時)がニューヨーク証券取引所でのセレモニーで公表した「責任投資原則(PRI)」は、企業にとっての血流となる投資のマネーのなかに経済的なリターンに“プラスα”のリターンが自動的に組み込まれるようにした、一つの「企て」と言える。PRIは、企業には投資分析と意思決定のプロセスに「ESG(環境、社会、企業統治)の課題を組み込むことを求め、株主や投資家には株式の所有方針と所有慣習にESG課題の取り入れを求めている。これは、企業が「経済リターン」を得ると、いわばオートマティックに「環境リターン」と「社会リターン」も生み出されるような仕組みを作ろうとしたものである。
2030年までに持続可能で誰一人取り残さない世界を築くというSDGs(持続可能な開発目標)は、国連で合意された文字通りの“目標”で、国も自治体も企業も市民も誰もが全員参加で達成に向けて行動することが期待されている。その中でESGは、SDGsが目指す環境ゴールや社会ゴールの達成を中心に、企業行動をシンクロさせるための一つのユニークな“手段”になっている。大企業か中小企業かスタートアップかを問わず、また、従来の資本主義の発想に縛られず、むしろ「ESG資本主義」を共通の基盤にさまざまな業種のさまざまな企業が織りなす創意工夫が相乗効果を出せたならば、理論的には、経済と環境と社会のリターンの間にきわめてダイナミックな好循環を生み出すことが可能となる。
もちろん、あくまでも市場での自由な取引が資本主義の前提であるとすると、そこでの(ルール違反に対する制裁など極端な例外を除き、)強制による行動変容は望ましくない。では、利己的で自律的な主体が、いかに全体の利益をも勘案した行動(それは単独か集団か、自発か交渉ベースか、多様な動きが想定されるが)を取るのか。これは、SDGsやESGの世界ではアカデミックな議論に留まらない重要な問いかけになる。
それが自己の「マテリアル(物質的/重要)」な利益に直結するからという現実的な理由もあれば、自らの「エシカル(倫理的)」な価値の反映とする道義心も大きな理由となるだろう。しかし、ここで私は、さらにもう一つ、「健全な危機感」醸成の必要を訴えたい。ESGを企業活動に取り込む「ESGインテグレーション」が、自己利益や使命感を抱く企業や投資家によって実践されることは望ましい。だが、同時に、時間は待ってくれないという切実な問題も見逃せないのである。
その時間とは、地球の時間であり、人類の未来に残されている時間のことである。
いま、私たちは歴史の重大な分岐点に立たされている。そう言ったとき、どれほどの方々がそれをリアルに感じてくださるだろうか。率直なところ「またか」とか「まさか」という感触を持つ方もいれば、それはわかっていても次の一歩を踏み出せずにいる、そうした声も正直なところだろう。しかし、逆説的に聞こえるかもしれないが、SDGsやESGやサステイナビリティといった言葉が日常化する中で、私が最も懸念をし、焦燥感さえ覚えるのは、結果的にSDGsやESGが生まれたもともとの背景にあったはずの危機感が日常や現状に埋没してしまうことである。あるいは、誰しもが取り組めるような身近な行動変容(それはそれで重要ではあるが)までは心がけても、その先の抜本的な意識変革や行動転換にまで思いや活動が及ばないこともあるだろう。
言うまでもなく、「サステイナビリティ(持続可能性)」のことをこれほど取り沙汰しなければならない根源的な理由は、現状の延長線上にある私たちの未来がこのままでは確実に 「持続不能」になってしまうからである。そして、持続不能な未来を回避するには、私たちが今日「当たり前」と思っているシステムそのものを「破壊的(disruptive)」なレベルにまで転換することが必要で、そのためのアクションは早ければ早いほど望ましく、遅くなればなるほど難易度が増すことなる。いまや集中豪雨と大規模な洪水でパキスタンの国土の3分の1が水没するほどにまで事態は深刻化している。パリ協定が描く「ネットゼロ」社会の実現は、たとえ容易でないといても、それをやらないという選択肢はもはや私たちには残されていない。生物多様性の保全も、拡大する不平等や暴力的な紛争の管理も、新たな感染症への備えも、さらには暴走しかねない科学技術イノベーションの抑制も、みな待ったなしの状況にある。
私たちはいま、地球や人類の歴史において、かつてないほどに経済と環境と社会とが密接につながり合ったエコシステムの中に生きている。それは人類の活動の急速な拡大が地球の生態系や自然に計り知れない負荷を与えた結果でもある。だからといってやみくもに危機感を煽るつもりはない。到底楽観はできないが、最も用心しなければならないのは、悲観や諦めの気持ちに押しつぶされることである。私がここでESGインテグレーションに着目するのは、ビジネスを通じた現状打破に大きな希望を抱いているからにほかならない。
私たちが目先の利益にばかりとらわれず、健全な危機感と使命感と挑戦心を胸にESGインテグレーションを果敢に推し進めることで、歴史の分かれ目で禍機を好機に転換し、経済と環境と社会のリターンが連動するサイクルをどこまでも拡大していくこと。これは、持続可能な地球と人類の未来に向けた、きわめてやりがいのある高貴な営みであることを、ここに改めて強調しておきたい。(2022年9月15日)
